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【じんけんのしせん】
人権の視線
人権の詩
ぼくは、せいしんしょうがいしゃ。
でも、せいしんしょうがいしゃは、すべてのことで、
しんたいしょうがいしゃ、ちてきしょうがいしゃと
おなじようには、あっかってくれない。
だれもが、むかしから、かげで、さべつ、へんけんがあった
いまもかわらない。ひょうめんじょうはかわったが?。
なかみはいぜんのまま、はたらきたくても、せいしんしょうがいしゃは
はたらくばしょがない、ひびのくらしをしていけるばしょがない。
はたらきたくても、はたらけない。げんじょうは。ふこうへいだ、とても。
けんこうなひとも、しょうがいしゃも、すべて、びょうどうにくらせるひを
まっています。
こころから、せいしんびょうは、とてもくるしい。
みんなに、わかってほしい、しってほしい。
しってもらえるばがあれば。
ぼくは、でかけます。ひとりのせいしんしょうがいしゃとして。
ひとりのにんげんとして。
この詩は、毎月この「人権の詩」をご愛読いただいている、町内のある方から投稿していただきました。
精神障害者であることを自ら打ち明け、差別のないみんな一人ひとりが平等にくらせる社会への思いが、この詩に込められています。
私たちは身体と同様に、こころにもストレスや悲しみを乗り越える免疫力というものを持っています。しかし、こころに深い傷を負ったり、ストレスを重ねたりと従来の免疫力では対応しきれず、こころの病にいたることがあります。ですから、こころの病は特別な病気ではなく、現在の複雑化した社会の中でくらす我々だれもがやむ可能性がある病気だと言えます。
精神障害者は「恐い」とか、「何をするかわからない」といったイメージをもっている人が世の中にいます。しかし、その人自身を見ないで「精神障害者=危険な人物」というような偏見を持つことは間違っていることです。精神障害者に対する差別だけでなく、こういった偏見を持つことはすべての差別に共通したものといえます。精神障害者の多くの方々は、こころの病と日常生活の障害を抱えながら、地域の中で暮らしています。しかし、社会や地域の中で精神障害者に対する理解がなければ、自立した社会生活を送ることは困難になってしまいます。
自分が、家族が、友人がと考えると、障害のことはだれにとっても身近なことであり、特別なことではありません。すべての人のこころとこころがふれあい、互いに支えあいながら暮らせる豊かなまちをみんなの手でつくっていきましょう。
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