市町村合併を
考える
その21

遺跡からみる彦根市と犬上郡の歴史
 滋賀県は、京都・奈良に隣接していることもありいろいろな形で歴史上重要な役割を果たしてきました。今日、市町合併の協議が進められている彦根、豊郷、甲良、多賀の地域もその一役を担い、奈良時代に犬上郡とされ、遣唐使で有名な犬上の御田鋤と関係する犬上氏の勢力圏であったとされています。自然に恵まれた鈴鹿山脈とそこを源にする芹川・犬上川・宇曽川・愛知川流域の平野部および琵琶湖は人々の生活を潤しながら永い歴史を育んできました。その歴史を遺跡から、古い時代の順にみてみたいと思います。
 この地域でもっとも古い遺跡は? と思われたことはないでしょうか。県内では旧石器時代遺跡の存在が確認されていますが、彦根・犬上地域では発見されていません。発見されていないだけで、旧石器時代から人がいたことは間違いないと思われます。
 現在、彦根・犬上地域で一番古い遺跡は、縄文時代中期の北落遺跡です。最近、縄文時代の遺跡で甲良町の小川原遺跡や多賀町の土田遺跡などで注目される発掘調査がありました。また、県内唯一の縄文時代晩期の洞窟遺跡が多賀町の佐目洞窟遺跡で確認されています。琵琶湖岸から鈴鹿山脈の中腹部まで転々と発見されている縄文時代の遺跡は県内でも注目を集めています。
 弥生時代になると遺跡の数も少し増えます。しかし、愛知郡や坂田郡に比べると発見されている遺跡は少ないみたいです。代表的な遺跡は彦根市の川瀬馬場遺跡で、大規模な集落の存在を確認しています。
 古墳時代になると、平野部中流域を中心に集落遺跡が認められるようになりなります。とくに、後期古墳群とよばれる円墳が群集する遺跡が犬上川右岸平野部上流域に集中することが注目されます。古墳群では、多賀町の楢崎古墳群・甲良町の北落古墳群です。愛知川流域の古墳群が渡来系とされているのに対し、犬上川流域は在地系とされていることは、興味深いことです。
 奈良・平安時代でも集落跡など遺跡が知られています。この時代に、現在と同じような主要幹線道が成立し、農業や産業の基盤が築かれたと考えられます。代表的な遺跡は竹ヶ鼻廃寺遺跡で、平安時代の政権と関係する大規模な掘立柱建物群が確認されています。
 中世や近世の遺跡もたくさん発見されていますが、近世ではやはり彦根城を中心にした城下町を含む歴史は貴重な資料です。しかし、近世以前は彦根城以外の地域が繁栄していたことが遺跡からわかります。佐和山城跡や佐々木氏関係の山城跡は日本史上でも重要な遺跡ですし、人々の暮らしは中山道や朝鮮人街道、琵琶湖や河川を中心にくり広げられてきたことも遺跡から容易に推測できます。
 他にも紹介できなかった貴重な遺跡や発掘調査事例が多くあり、豊かな自然の恵みを受け現在まで続く地域の歴史を遺跡から見直してみるのも面白いと思いますが、いかがでしょうか。
  ※江戸時代、朝鮮からの通信使が京都から江戸へ向かう途中、野洲で中山道からわかれ、近江八幡から安土、彦根を通りました。この道が「朝鮮人街道」と呼ばれています。
(多賀町教育委員会文化財係 音田直記)

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